今日の気分
今朝は5:15に起きた。でも眠かった。
金曜日から英語漬け。
午前中もYouTubeで英語の勉強。
なのに、全然身につかない。
やはり生きた英語を使わないと、本物の英語が身につかないと思う。
もっと東京みたいに外国人が近くにいれば、英語を話すチャンスもあるのにな。
6月末に東京行くから、何かないか、探してみようかな。
ちなみに、色々な施設のチェックはもうした。
障害者手帳があるから、無料で利用できるのだ。
出来れば、交通費も障害者手帳で無料だとすごくありがたいのに。
東京は、物価も高いし、交通費も高い。
身体の障害者手帳は割引あるのに、精神にはないのはおかしいと思う。
障害者だと思うように働けないし、働いても、低賃金だったりするし、それなら、生活にかかるお金は、割引があってほしい。
障害者になって、生活がままならなくなって、自殺を考える人だっていると思うし、障害者には誰だってなりたくてなってないわけだし、もっと障害者に優しい社会であっても良いと思うのは、私だけだろうか。
もっとも、今の日本は、普通の人にとっても、優しくない社会だけれど。
働いても、働いても低賃金で、どこまでいっても平社員で、何するにせよ税金がかかり、その努力や苦労が報われるならまだしも、その保証はどこにもないわけで。
考えれば、考えるほど、お先真っ暗、夢も希望も持てないわけで。
こんな時代をどう生き抜けばいいんだろう。
日本より貧しい国、争いのある国と比べて、自分の生活水準より低い人を見て、今の自分は幸せだ、と思い込めばいいのか。
確かに上を見たらキリがないし、お金があるから幸せとも限らない。
この世の1番悲しいことはなんだろう。
生きていると、たくさんの悲しいことがある。
ある人にとっては些細なことでも、ある人にとっては重大なことだったりするし、ある時には重大なことだったのに、ある時には些細なことに感じられたり。
人間の感覚って曖昧である。
心で感じることって、本当はなんなんだろう。
だいたい、心というのはどこにあるのだろう。
感覚というのは、脳の中のある部分で、もしくは、ある部分が感知して、ある部分の記憶が刺激され、情報となるものなのではないだろうか。
ウツは、悲しいことや、苦しいことが溜まり、溢れたときに、引き起こされるのではないだろうか。
自分のコントロールとはかけ離れたところにあって、頭でいくらがんばっても、壊れるものが、身体のどこかにあるのではないだろうか。
それは、脳の中かもしれないし、内臓かもしれないし、その他かもしれない。
人間の身体って不思議がいっぱいだ。
話しが飛び過ぎて、キャパオーバーで、結局、分からなくて、今の目の前のこと、夕飯何にしようとか考えてるし。
またいつか考えよう。