アスペルガーと躁鬱を乗り越える!

コサトのブログへようこそ!双極性感情障害を治すべく、そして、アスペルガーを改善するべく奮闘する日々をつづります☆

今日の気分

今朝は5:55に目が覚めて、6:00に起きた。

今日は4日がかりで描いてた絵が完成した。

達成感はあるものの、満足感はない。

下手過ぎて、まだまだ未熟だから、納得いかない。

いつになったら、満足できる絵が描けるかな。

それより、いつになったら、アスペルガーと躁鬱を克服できるかな。

好きな人できたら、なんていうか、生きるエネルギーみたいなのが湧き上がるけど、その反対に、落ちるときも半端ない感じする。

やっぱりそこでバランス取るのは難しいのかな。

私にとって、絵が、バランスになるかとも思ったけど、やっぱり、落ちると描けなくなるし、描いてる時間は、描けてるってことは、ある程度落ち着いてないといけないし、って、感情のままの絵を描いていないってことか。

そこか!

いつも、頭で考えて絵を描いてるんだな。

心で、感じるままに、描けたら、きっと満足感のある絵が描けるかもしれない。

しかし、いつからこんなに頭で考えるようになったんだろう。

きっと、3、4歳の頃には感じるままに動いてたはず。

いや、もしかしたら、もう頭で考えて動いてたのかな。

今で言う、虐待を父から受けていたから、と言っても、嫌な記憶過ぎるからか、あまり覚えてないけど、父は、母や、私に暴力をふるっていた。

三姉妹の真ん中の私は、なぜか父の標的になってた。

姉が言うには、姉は危険を察知するといち早く逃げ、末っ子の妹は末っ子だから、可愛いがられ、一番どんくさい真ん中の私が父にいじめられたのではないかと。

玉ねぎやピーマンが嫌いで、残すと怒られ、泣くと、たたかれ、無理矢理食べさせられたことを覚えている。

そして、いつも母が私をかばってくれて、そうすると、今度は母が標的になり、殴られ蹴られ、それを見るのがまた辛かった。

いつも、心の中で、お母さん、ごめんねって言っていた。

子供ながら、守ってあげれないことを申し訳なく思っていた。

父は、遠洋漁船の漁師で、半年や一年に一度帰っては、暴れる、そんな感じだった。

帰ってこなくていいのに、そう思っていたかもしれない。

そして、願い叶ってか、私が5歳のとき、父は船から海に落ちて帰らぬ人となった。

文字通り、父の遺体は未だ見つかっていない。

もしかしたら、どこかの島に流れ着き、生きてるかもしれない。

父との思い出は、嫌な記憶ばかりだけど、唯一、一緒にお医者さんごっこをした記憶がある。

アルバムの写真の中には、私が4歳くらいのとき、父の膝の上に座っている写真があって、私のその表情は、嫌そうでもなく、でも、リラックスしてる感じでもなく、カメラを持っていたであろう母の顔を見ていた。

親が子供に与える影響は計り知れないほど大きいと思う。

環境という意味で。

子は親がなくても育つというけど、環境は大事なわけで。

あー、なんで、こんな話になってるんだろ。

とにかく、どうしたらアスペルガーと躁鬱を克服できるかな。

やっぱり仕事かな。

何か、自分の特技を作りたい。

今ある才能を活かしたい。

そこだと思う。

やっぱり人の手を借りなくてはいけないな。